公開
藩主の居館で山田宗徧の作庭と伝う。大池泉に築山を高く作り、枯滝の石組を行い石橋を架す。陰陽石は見事。江戸初期の作で池泉廻遊式庭園。 (探訪日本の庭より抜粋)
朝倉氏庭園(朝倉氏館址庭園、御湯殿址庭園、諏訪館址庭園、南陽寺址庭園)
朝倉氏が、その勢力を強大にしたのは敏景の時代からで、以後、氏景、貞景、孝景、義景の五代にわたって、朝倉氏はその声望、実力ともに大いに振るった。そして義景の時代、天正元年(1573)8月20日、織田信長と戦って破れ、一族の朝倉景鏡の反心によって自害し、朝倉氏は亡びた。この庭園は昭和42年に足羽町の努力で復旧した。 (探訪日本の庭より抜粋)
館址庭園
御湯殿址庭園は、
この庭園の池泉の形態は、館址の池泉よりも複雑な意匠となっている。池泉には鶴亀両島が意匠されているが、鶴島は左方にあって、その中心たる羽石は195cm の巨石で意匠されその手前と右側に2石を配する豪快な手法を見せている。山畔の立石群は巨石(195・108・142cm)を中心に多く意匠され195cmの石が蓬莱石をかねた枯滝石組であると見てよいであろう。
諏訪館
南陽寺にも
復元町並み
(たきだんじ)
公開 TEL 0776-82-0216
前庭の石庭は中根金作氏の作庭(昭和)
公開 TEL 0761-65-2111
近年中根金作氏により改修された琉美園、中でも三尊石などの石組みも見所