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洋風庭園

 

4001 養浩館  江戸初、池泉廻遊式 山田宗徧、作庭 拝観料 

公開 

       福井県福井市宝永3丁目 見学日 2003.7.27

藩主の居館で山田宗徧の作庭と伝う。大池泉に築山を高く作り、枯滝の石組を行い石橋を架す。陰陽石は見事。江戸初期の作で池泉廻遊式庭園。 (探訪日本の庭より抜粋)

《ガーデンデザイナー高木の個人的意見》

 

     

 

4002 朝倉氏庭園  室町、池泉式、枯山水 作庭 拝観料 無料

公開 

       福井県福井市城戸ノ内町 見学日 2003.7.27

朝倉氏庭園(朝倉氏館址庭園、御湯殿址庭園、諏訪館址庭園、南陽寺址庭園)

 朝倉氏が、その勢力を強大にしたのは敏景の時代からで、以後、氏景、貞景、孝景、義景の五代にわたって、朝倉氏はその声望、実力ともに大いに振るった。そして義景の時代、天正元年(1573)8月20日、織田信長と戦って破れ、一族の朝倉景鏡の反心によって自害し、朝倉氏は亡びた。この庭園は昭和42年に足羽町の努力で復旧した。 (探訪日本の庭より抜粋)

 

《ガーデンデザイナー高木の個人的意見》

 

館址庭園

唐門 山側に面した斜面を利用した滝石組 東西南北80mあり東は山、西南北は高さ4mの土塁に囲まれて外側には堀がある。

御湯殿址庭園は、

朝倉氏の居館の規模の一部たる湯殿の前に意匠されたものであって、居館そのものが、どのような意匠のものであったか不明であるが、庭園の位置は館址庭園 の上部にあたり、背景が山畔になっており、池泉庭園となっている。おそらく永禄9年(1566)〜11年(1568)までの間に作庭されたものと思われる。作者は不明。

この庭園の池泉の形態は、館址の池泉よりも複雑な意匠となっている。池泉には鶴亀両島が意匠されているが、鶴島は左方にあって、その中心たる羽石は195cm  の巨石で意匠されその手前と右側に2石を配する豪快な手法を見せている。山畔の立石群は巨石(195・108・142cm)を中心に多く意匠され195cmの石が蓬莱石をかねた枯滝石組であると見てよいであろう。

 

     

諏訪館

諏訪館と言う名称は一乗谷の中に諏訪の谷と言う場所があり、そこに館を建てた所から来ている。この庭園も御湯殿址庭園 と同じように山畔を利用しその下部に池泉を意匠しているが。そして山畔部からより雄大な規模で滝石組が構成されていて、再奥部には三尊形式の石組を意匠して、ここから滝を落としている。
朝倉館址庭園中最大の見所 上部滝石組 ひときわ大きい石が諏訪の立石又は影向石

南陽寺にも

現在小池泉庭が保存されているが、本庭は旧南陽寺 書院の南庭で南部は山畔をそのまま利用して背景として作庭されたものであって比較的に小庭である。
南陽寺

復元町並み

 

4003 滝谷寺

 (たきだんじ)

江戸中期 池泉回遊式  作庭 拝観料 

公開  TEL 0776-82-0216

〒913-0054 福井県坂井郡三国町滝谷1丁目7番15号 見学日  2006.7.16
山畔の露出した岩盤を利し、山畔上部に三尊石を組み刈り込みを配した庭園は秀逸。

前庭の石庭は中根金作氏の作庭(昭和)

 

《ガーデンデザイナー高木の個人的意見》
石庭、九石組みで観世音菩薩の慈悲の心を表したものと言われる。 名勝庭園、本堂から見るように設計された座観式林泉庭園?

 
4004 那谷寺  江戸初期 露地式平庭 作庭 拝観料 

公開  TEL 0761-65-2111

〒923-0336 石川県小松市那谷町122 見学日  2006.7.16
書院の北側の平地に作られた江戸時代の露地式平庭庭園、

 近年中根金作氏により改修された琉美園、中でも三尊石などの石組みも見所

《ガーデンデザイナー高木の個人的意見》

名勝指定の露地式平庭庭園 自然の岩肌を三尊石に見立てた琉美園

 

 

 

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