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洋風庭園

 

 

3001 名古屋城二の丸庭園  桃山 池泉(枯山水)庭   拝観料  公開
 名古屋市中区丸の内 見学日  2013.1.15
 二の丸庭園は北のお庭と南のお庭の2つの庭がある。北のお庭には北部に大築山を設け、これに渓谷式の石組を豪華 に用い、上部に石橋を掛けているが、この上部に石橋を掛ける様式が玉澗流の特色である。下部に池庭を設け出島を南北に設け中島二島を作っている。別に北部と西部に築山を設け、これまた豪華な石組を見せ、いずれも蓬莱山水としての石組であり、自由自在な手法に心を打たれるものがある。南のお庭には中央に大きな出島があり、その背後が築山となり、この付近に蓬莱式の枯滝石組を中心として、多数の石組がみられる。これらの築山石組には三段式の滝石組としての手法を見せており、巨石を立てて豪華を極めているし、奥部に三尊石組を見せ手前の小中島には切石橋を架けてあるが、この切石橋は後補と考えられる。(ほかに三の丸庭園があるが非公開である。) 探訪日本の庭より転載
二の丸庭園 二之丸東庭園

 
3002 白鳥公園  平成 池泉廻遊式   拝観料  公開
 名古屋市熱田区白鳥公園 見学日  2004.8.1

池泉廻遊式庭園で、名古屋を中心とした中部地方の地形をモチーフにしており、庭園の西南端にある小高い築山を「御嶽山」、そこから流れる川を「木曽川」、川の水が注ぎ込む池を「伊勢湾」に見たて、"水のストーリー"をつくり出しています。
 当園の核となる施設としては、汐の満ち干きにより刻々と変化する水景を楽しむ「汐入の庭」があります。この庭は、伝統的な日本庭園の中に現代的感覚を取り入れたデザインの庭で、「汐の干満」という自然の営みによって作り出された海辺の風景をハイテクを駆使して創作したものです。この汐入の庭を間近に見ながら、抹茶もいただける(有料)休憩所「汐入亭」があります。時間を忘れ、和の心地よさを味わえる喫茶・休憩所です。
 また、庭園のほぼ中央、流れのほとりにある庭園本館「清羽亭」は、自然素材を生かし、日本古来の伝統を受け継いだ本格的な数寄屋建築です。外観は、白鳥の舞い降りる姿をイメージし、庭園と建物の美しい調和を見せています。この清羽亭は、茶会はもとより、歌会など伝統的室内芸能に有料で利用することができます。         HPより転載

 

     
     

 

3003 徳川園  平成 池泉廻遊式   拝観料 300 公開
 愛知県名古屋市東区徳川町1001 見学日  2013.1.15

徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。 清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮しています。

さらに徳川園は、高低差の大きな地形、既存のまま取り入れた樹林、立体的に迫る大きな岩組みが特徴で、変化に富んだ景観を大胆に切り替える構成を用いて大名庭園の「荘厳さ」を大観できるようにしています。新緑や紅葉、牡丹や花菖蒲の花々など四季を通じて楽しめる庭となっています。HPより転載

 

  龍門の瀧  

 

滋賀県

3004 龍潭寺  池泉鑑賞式 枯山水   拝観料 400 公開
 滋賀県彦根市古沢町1104  見学日  2013.12.1
龍潭寺に禅宗の大学寮があり、その中に園頭科(えんずか)がありました。これが造園専門学校の始まりとされています。学僧が実習として作った庭などが現在も残り、庭の寺ともいわれています。
 広い庭園は、佐和(さわ)山を借景に作られています。また、井伊直弼(なおすけ)や小堀遠州が茶の湯を楽しんだ飄々庵(ひょうひょうあん)などの茶室は、佐和山城の城門を利用したといわれ、庭園とともに静寂に包まれ落着いた雰囲気になっています。書院東庭は「蓬莱(ほうらい)池泉庭」と呼ばれ、山を背景に大きな池が横たわる池泉鑑賞式庭園です。書院北庭は「露地庭(ろじてい)」と呼ばれ、その上に上段庭があります。また、書院東庭とともに良く知られた方丈南庭は、「ふだらくの庭」と呼ばれ、白砂に48個の石を配した石庭。また、庭園の後丘上には、夢窓疎石(むそうそせき)や諸禅師(しょぜんし)、小堀遠州の供養塔や造園史の先賢をまつる庭聖殿があり、見る庭だけでなく、考える庭、思う庭、さらに拝む庭などいろいろな庭があるといわれます。HPより転載

 

書院北庭「ふだらくの庭」 小堀遠州が監修した池泉庭  

 

3005 彦根城・表御殿奥向庭園  池泉鑑賞式    拝観料 500 公開
 滋賀県彦根市金亀町1−1 見学日  2013.12.1
ここは文化財の発掘調査により分かった事と、建物や庭園の姿は絵図に基づき復元。博物館の奥にある。

 

茶室横の手水鉢 復元された庭園 表御殿(博物館)

 

3006 玄宮楽々園    枯山水   拝観料 600 公開
 彦根市金亀町3-40  見学日  2013.12.1
楽々園は地震の間など槻御殿の建物を言う、庭園は書院に伴う部分。玄宮園は槻の御庭と呼ばれた庭園部分。玄宮園は最盛期の半分ぐらい横のグランドを近々発掘予定

 

楽々園 楽々園、地震の間などの建物群 楽々園の庭園部分

玄宮園

玄宮園、入り口付近の田圃は発掘の結果復元

 

 

3007 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)  池泉鑑賞式    拝観料 無料 特別公開
 彦根市松原町515 見学日  2013.12.1
松原下屋敷の庭園は、優れた造営技術を駆使し、琵琶湖の水や山の自然を活かして造られています。琵琶湖の水位と連動して汀線(ていせん)(波打ちぎわ)が変化する汐入(しおいり)形式の手法を用いた池を中心に、西側は洲浜(すはま)の広がる緩やかな景観とし、東側は築山(つきやま)(庭に築いた小さな山)が折り重なる深遠な趣となっています。13代当主井伊直弼(なおすけ)の時代には、「がけ之御茶屋」「南台之御茶屋」「通天之御茶屋」「菊之御茶屋」の4棟の茶室も要所に設けられていたようですが、現存していません。槻御殿が表向きの庭園なら、ここお浜御殿は内向きの庭園。琵琶湖のそばにあることからこの庭園は汐入の庭として知られる、昭和23年の松原内瑚干拓事業により周辺環境が劇的に変化し、明治以降は井伊家の居住地となり現在まで発掘調査がされなかったことから荒廃した。
 
式台のある玄関建物 汐入の庭、淡水の汐入はここだけ 原野と思われるほど自然になった庭

 

 

 

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