大阪府-2

高木造園
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洋風庭園

 

1005 大仙公園(日本庭園)     昭和 林泉回遊式 中根金作   公開  
〒590-0820 大阪府堺市堺区大仙中町(大仙公園内) 見学日 2009.11.1
昭和64年市制100周年の記念事業として中根金作氏によって作庭されました。古代より中国、韓国から渡来した文化や技術者は堺を経由して、奈良やそれぞれの配地に向かったと思われます。休憩所からは堺に大陸文化をもたらした中国の景勝地を模写した風景を眺めることが出来ます。
 
休憩所から見た庭園 傘亭から見た庭園と休憩所

 

1006 海会寺 座観式     特別公開  
堺市堺区南旅篭町東3丁1-2 見学日 2009.11.1

臨済宗東福寺派のお寺です、古渓宗陳が天正13年(1585)に再建しましたが大坂夏の陣で焼失し 、南宗寺の住職であった沢庵宗彭の助力によって現在地の南宗寺の寺域に再興されました。

庭園は『指月庭』と称し、枯山水庭園のうちでも石庭と言われるもので、大小の石が「陰と陽」「五色=多様な」をあらわすように配置されています。その間を白砂が流れています。草木が使われていない分、鋭さがあります。その鋭さが月を指しているような趣があり、石と砂で小宇宙をあらわすという枯淡にして格調の高い庭です。各々の石は、諸仏の示現を偲ばせるが真ん中の大きい石は阿弥陀如来で両側の2つの石は三尊の脇侍で「観世音菩薩、勢至菩薩」を表しています。阿弥陀如来は海会寺のご本尊である。普通禅寺のご本尊は釈迦如来なので、本寺の例は珍しい。(パンフより転載)

 
門前 庭園

 
1007 南宗寺 座観式     公開  
堺市堺区南旅篭町東3丁-1-2 見学日 2009.11.1

本庭は方丈の南庭であって、その様式は桃山時代の枯山水であるが一般の枯山水とやや違って枯流れ式の枯山水となっている。東照宮の建築の西部に枯滝石組を設け、その直前に三石による石橋を架け、この付近から西北に向かって枯流れを設け、石橋に近い付近の南西岸山畔下には軽く護岸の石組を一部に見せ、山畔に添う下流にはほとんど護岸がない。

本庭の枯滝付近は東照宮建立の関係で相当に荒廃していた。水落石に当たるものは二石を重ね組としていて、やや左方の傾斜して建てられていて、その前に大きく巨石を横石として用い、さらにその左右の奥にも立石と横石を組み右方に長石を臥せてある。これらの枯滝石組は二石を重ねた構成から考えると、二隻の前の石はやや白く水の落下する表現とみてよい。奥部左方の尖った立石は遠山石に当たり、この付近の枯滝石組はかなり創造的なものである。石橋下まで栗石敷きとされているが、この栗石を用いる手法はこの時代の伝統的な手法であり、定型的な手法でもある。「探訪日本の庭より」

 

庭園全貌 右側の枯滝部分 茶席『実相庵』前の袈裟型手水鉢

 
1008 少林寺       公開  
堺市堺区少林寺町東3-1-18 見学日 2009.11.1
庭園は黄金分割を使って配置された石や池、黄金分割とは1:1.62の比になっている長方形の事で安定した美観をなす比率の事です。向かって左手におかれた3つの石は三尊石と言い、ここでは釈迦三尊を表しています。
 
三尊石を中心として黄金分割で作庭された庭

 
1009 祥雲寺 庭園 座観式 天佑紹果   特別公開  
堺市堺区大町東4丁2-7 見学日 2012.4.7

枯山水 江戸初期の作で京都大徳寺の方丈前庭と構成が類似する点が多く、祥雲寺第2世で大徳寺の住職も務めた天佑紹果が手掛けた、背後の土塀は俗に屏風塀と呼ばれる。

亀の庭・方丈中庭にあり亀を形どって石を組んだ所からその名が生まれた。

 
祥雲寺玄関 祥雲寺方丈庭園 亀の庭

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