大阪府ー1

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洋風庭園

 

 

1001 観心寺雲心亭 江戸初期、池泉廻遊式 古川三盛  拝観料  非公開 0721(62)2134 
586-0053 大阪府河内長野市寺元475 見学日 2002.8.25
5月例会の折り、寂庵でお会いした作庭家の古川三盛氏より「観心寺の茶室で夏休みをして居ります、お気が向けばおいで下さい」とのお誘いを受けて観心寺の茶室『雲心亭』を訪問しました。そしてお土産「著書、庭の憂」をいただきました。有難うございました。

 

《ガーデンデザイナー高木の個人的意見》

 

茶室《雲心亭》

茶室前の蹲踞

入り口から茶室に向かう飛び石

 

1002

 太平寺 昭和茶庭 小宮山博康 作庭 拝観料  要連絡  
〒543-0075 大阪市天王寺区夕陽丘町1−5 見学日 2003.8.31

昭和47年 山門、本堂、開山堂が再建された、作庭は同じころで露地の面積は5坪足らずの狭いもので内露地、外露地の境は四つ目垣により区切られている。腰掛待合も狭いながらもきちんと設けられて居る。待合の役石は白御影の伽藍石による正客石と自然石とに組み合わせにより構成されている。

蹲踞の前石には形の良い丹波石が据えられている、水鉢は待合の正客石と同じ伽藍石で水穴は小さい。前石からの飛び石は貴人口、にじり口へと無駄なく打たれていて、にじり口の踏み石も伽藍石で共通している。

 

《ガーデンデザイナー高木の個人的意見》

良くまとまっているが、茶庭としては建仁寺垣が自然竹でないのが気になる。苔がなくなった分ちりの高さが高すぎる。

玄関庭

見立て物(伽藍石)の蹲踞を中心にした露地

にじり口

 

1003 四天王寺本坊 改修平成、池泉回遊式 庭、壺井宏純 拝観料 300 公開 TEL 06‐6771‐0066
〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号 見学日 2003.8.31
四天王寺本坊敷地内の東側にある約3000坪の庭園で、庭園内には和松庵、払塵亭、臨池亭、青竜亭(三角亭)、八角亭の茶室があり、の庭園で細長い池泉に石橋を架し流れを引く、 昭和7年 茶宗、木津宗泉氏による大改修(従来の案内)

改修テーマは『二河白道』 '2003改修壺井宏純氏「京都林泉協会 理事、恵那興産社長」

この庭は、中国の僧侶である善導が「散善義」で説いた二河白道(にがびゃくどう)の喩話を基に設計している。

二河白道の喩話とは、「二河」を水の河と火の河、「白道」を極楽浄土への道(仏法)と喩えている。すなわち水の河とは人生の順境にあるときの貪りであり、火の河とは人生の逆境にあるときの瞋(じん・怒り恨むこと)である。この二河は生き地獄を指している。この地獄の真ん中に極楽浄土への道が細く延びているが、凡庸な者にはこの道が見えない。極楽浄土への往生を真に願う者には見え、白道を進むと極楽浄土に達し、往生できると言う教えなのです。

《高木の個人的意見》

改修前に比べずいぶん良くなった、石が新しく気になるがこれも時間がたてば気にならなくなるだろう。

釈迦の滝 薬師の滝と瑠璃光の池 極楽池と阿弥陀三尊(三尊石)
補陀落の庭 青龍の庭?(勝手に命名します) 仏伝の庭(非公開)

 

1004 慶沢園 明治42年、池泉回遊式 庭、植冶 拝観料 公園入場料のみ要 公開  
〒543-0051 大阪市天王寺区茶臼山町1 天王寺公園内  見学日 2003.9.25
植冶(小川冶兵衛)の最大のパトロンはやはり15代住友吉左衛門(春翠)であろう。植冶は春翠の求めに応じて、大阪茶臼山本邸の慶沢園(明治42年〜43年)を初め京都の清風荘(明治44年〜大正2年)などの庭園を手がけている。

作庭は順調に進み明治43年の5月には庭園の概略が出来上がっていたようである。池の中央の大きな中島には黒松が植栽され、点々と浮かぶ岩島が広々とした海の景色を映し出していた。その姿は現在の慶沢園と全くかわらない。 随所にすえられた奇岩はそれを囲むサツキの刈り込みとうまく調和していて、ことに東岸の龍頭石・龍尾石が目をひく。水辺の広がりを演出する州浜の中に打たれた飛石は水辺にまで延びて小島に渡れるようになっている。このような大名庭園風のおおらかさの中に植冶の得意とする水とふれあう手法が組み込まれていることに気づくのに、そう時間はかからない。東北の築山上から湧き出た水は垂直に立てられた大きな1枚岩の滝を流れ落ち幅広い渓谷を通って池にそそぐ。その滝を仰ぎ見る位置に豪快な沢渡が打たれている。これに対する南岸には池に張り出すように喚魚亭が建てられていた。現在の四阿はその跡にあたるが、間近に迫る中島の護岸石組みを望むことの出来る好位置を占めていたことがわかる。この四阿の周辺には臼石をうまく配置した蹲踞や沢飛び、あるいは切石橋など、植冶らしいデザインが見られる。

建築に着手したのは明治44年庭園の完成後であった。建築より庭園に重きを置くという考え方は、南禅寺界隈の別荘群でもよく見られる。茶臼山本邸は大正10年に大阪市に寄贈された。昭和11年本邸の書院跡に大阪市立美術館が建築され以後慶沢園はその庭園として現在に至っている。  (植冶の庭より抜粋)

《高木の個人的意見》

周囲の景色が大きく変わった(高層ビルの建設)であろうことは想像出来るが、しかしなお、この大らかさを残す庭園が大阪、天王寺の繁華街の近くにあるということを考えると、維持されてきた大阪市と公園課の努力に感謝したい。

公園内、庭園入り口  
バックの建物は市立美術館 沢飛び

 

1010 大阪市公館 回遊式   拝観料 

特別公開

大阪市都島区網島町1035 見学日 2012.6.10
人々を優しく迎え入れるエントランスの前庭と東庭と西庭の2つの回遊式庭園

夏には深紅の花を咲かせるサルスベリは前庭に、東庭は芝生と櫟林が伸びやかな印象をもたらす西洋風のエリアと、茶室のある純日本風エリアで構成されています。西庭はあずま屋を囲むように池があり季節の花とともに訪れる人の目を和ませています

西庭 東庭

 

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